那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ
最近、「授業をしない塾」が注目を集めています。
生徒が自ら学習計画を立てる仕組みや、個別面談を重視するスタイルが特徴です。
保護者の方々の中には、「授業がない方が効率的なのでは?」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、授業をしない塾での指導には、一つ大きな課題があると考えています。それは、「指導者が生徒を深く理解するための情報が極端に限られる」という点です。
授業中には、生徒の表情や態度、解答に至るまでのプロセスといった多くの情報が飛び交います。
たとえば、ある生徒に質問を投げかけたとします。
その時の表情、目線の動き、考え込む時間、さらには鉛筆が動くスピードや止まる箇所まで、指導者は観察を通じて得られる情報を蓄積しています。
この情報は、単なる成績表や模試の偏差値では測りきれない「その生徒の学力や思考の深さ」を浮き彫りにします。
一方で、授業を行わない塾や映像授業のチューターに期待される役割は非常に大きいです。
与えられる情報が限られる中で、生徒に適切なアドバイスをするには、指導者に高い力量と経験が求められます。
しかし、こうした力量を持つ指導者は決して多くありません。
生徒一人ひとりに寄り添い、学習の進捗や困難を深く理解することは容易ではないのです。
さらに、授業という場は、単に「教える」だけの時間ではありません。
指導者が生徒と向き合い、観察し、関わる時間でもあります。
授業中に感じ取る「空気感」や「些細な変化」を見逃さないことで、生徒の学力の伸びやモチベーションの変化に素早く対応することが可能になります。
これらの観察を通じて、「生徒の今」に適切にアプローチできるのです。
たとえば、模試の偏差値が58.4という結果を見たとき、その数字の裏側にある「何ができていて、何ができていないのか」をどれだけ深く読み取れるでしょうか?
授業で直接生徒を観察してきた指導者であれば、成績だけでなく、「答えにたどり着くまでのプロセス」や「思考のクセ」といった情報まで理解しています。
一方、成績表や偏差値だけを見る指導者では、その背景にある努力や課題を十分に把握することは難しいでしょう。
授業を軽視する風潮が広がる中、改めて「授業が持つ情報量の価値」を見直す必要があります。
効率を追求するだけでなく、子どもたち一人ひとりをしっかりと理解し、適切な指導を行うための「観察の場」として、授業の意義を再確認したいと思います。