「普通」の尊さを教える

子どもの自主性と現実世界のバランス

· 塾長の指導観・雑感

那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ

最近、教育界で「子どもの自主性」や「個性の尊重」が盛んに叫ばれています。確かに、これらは重要な概念です。しかし、私たち指導者は、この理想と現実世界とのバランスを取る難しさに直面しています。

先日、ある保護者から興味深い質問を受けました。「子どもの自主性を尊重しすぎて、現実世界で通用しない子になってしまうのではないか」というものです。この質問は、多くの教育者や親が抱える悩みを端的に表していると感じました。

確かに、子どもたちが自分で判断し、行動できるようになることは重要です。しかし、ここで一つ考えなければならないのは、子どもたちの「世界」がまだ小さいという事実です。

例えば、中学2年生のAくんは、将来プロゲーマーになりたいと言っていたとします。彼の頭の中では、ゲームが上手くなれば自然とプロになれると考えているようです。しかし、現実のプロゲーマーの世界がどれほど厳しいか、彼にはまだ想像がつきません。

このような場合、私たち大人は時にグイッと導く必要があります。「プロゲーマーになるのもいいけど、その前にまずはプログラミングを学んでみない?」とか「eスポーツの業界について一緒に調べてみよう」といった具合に、より広い視野を持てるよう導くのです。

一方で、近年の教育現場では「教師の権威」を否定する風潮が強まっています。「活き活きとした子どもの自主的な活動」を理想とするあまり、教師が指導を躊躇する場面も増えてきました。

しかし、これでは子どもたちを「お花畑」のような非現実的な世界に閉じ込めてしまう危険性があります。

現実世界は、時に厳しく、時に理不尽です。

だからこそ、教育は「現実」と向き合ったものでなければなりません。「自主性」と「現実」のバランスを取ることが、私たち指導者の重要な役割なのです。

また、近年の教育や社会全体に蔓延する「オンリーワン」信仰にも警鐘を鳴らしたいと思います。

「君は特別な存在だ」「誰にも負けない個性を持っている」。こうしたメッセージは、一見子どもの自尊心を高めるように思えます。しかし、実はこれらのメッセージが、子どもたちに過度のプレッシャーを与えている可能性があることに留意すべきです。

ある高校3年生の女子生徒Bさんは、こう語りました。

「みんな『夢』を持っていて、すごいことをしようとしている。でも私にはそんな特別なものがない。このままじゃダメな人間になってしまうんじゃないかって、毎日不安です」

このBさんの言葉に、私は胸が痛みました。同時に、「普通であることの素晴らしさ」を伝えきれていない私たち大人の責任を痛感しました。

実は、「普通」の中にこそ、人生の醍醐味があるのです。真面目に働き、家族を愛し、友人と楽しむ。そんな「普通」の人生の中に、実は幸せの本質が隠れています。

ノーベル文学賞作家の大江健三郎は、こんなことを言っています。「特別な才能がなくても、普通に生きていく中で、自分の持てる力を精一杯発揮する。そういう生き方こそが、本当の意味で『オンリーワン』なのだ」

この言葉に、私は深く共感します。子どもたちに伝えるべきは、「特別になれ」ということではなく、「あなたの『普通』の中に、かけがえのない価値がある」ということなのです。

教育の真の目的は、子どもたちが自分の人生に誇りを持ち、幸せを感じられるよう導くことです。

それは必ずしも「特別」になることではありません。「普通」の中にある幸せを見出し、自分なりの「ピリッ」とした瞬間を大切にできる。そんな力を育むことこそ、私たちの使命ではないでしょうか。

これからも、子どもたちの自主性を尊重しつつ、現実世界との向き合い方を丁寧に教えていく。そして、「普通」の中にある素晴らしさを伝えていく。そんな指導を目指していきたいと思います。