那須塩原市西那須野の高校受験・大学受験塾 本松学習塾塾長のブログ
学習塾は生徒に教育サービスを提供することが目的の組織です。
学校とはその役割が異なり、塾講師という立場で「教育」を語るのはおこがましいとも言えます。
私自身も、このブログではあくまで塾講師という立場で書いています。
ただ、「私がやっているのは教育ではありません」と言い切ってしまうことには躊躇を感じます。
教育とは、人に知識や技能を習得させる営みであり、それに従事するすべての活動が教育です。
学校の先生の役割でいう「教育」とは、もっと狭い意味での「人間教育」を指しているのでしょう。
「私は人間教育をしているつもりはない」と言うのは、塾講師としては誠実な態度かもしれません。
とはいえ、生徒たちは先生たちを「人間教育をしてくれる人」と「してくれない人」に区別して見ているでしょうか。
おそらく、学校の先生も塾の先生も、生徒にとっては「教えてくれる大人」という共通の存在でしかないのではないでしょうか。
塾の先生に対して、「少し話しやすい」と感じる程度の違いはあるかもしれませんが、基本的には同じ「大人」として接しているはずです。
このように考えると、塾の先生が「私は人間教育には関わりません」と明確に線を引くことが、本当に生徒にとって良いことなのでしょうか。
生徒にとっての大人とは、親や教師を問わず、その周囲にいるすべての大人を指します。
そして、その大人たちがどのように接するかが、その子供の成長に大きな影響を与えることは間違いありません。
塾講師である私たちは、知識や技能を教えるだけでなく、その生徒たちに対して一貫した態度で接することが求められているのではないでしょうか。
ある生徒が学校で問題を抱えるとします。その子が塾に来た時、なぜか浮かない顔をして元気がなさそうな様子です。
もし私たちが「学校生活の問題は学校の問題だから、私は関与しない」と言ってしまえば、子供はどう感じるでしょうか。
「塾の先生は自分のことを気にかけてくれない」と感じ、ますます孤立してしまうかもしれません。
しかし、私たちが「元気なさそうだけど何かあった?何か手伝えることがあれば言ってね」と声をかけるだけで、その子は安心感を得るかもしれません。
そして、その一言が、その子の心を救うきっかけになるかもしれません。
もちろん、塾講師の私たちがすべての問題に関与することは不可能です。
しかし、少なくとも生徒たちが私たちを信頼し、安心して学べる環境を提供することはできるはずです。
それが、塾講師の責任の一端であり、使命であると考えます。
教育とは、単なる知識の伝達だけでなく、人と人との関わりの中で育まれるものです。学校の先生であっても塾講師であっても、家庭であっても、教育の責任の一端を担っていることを忘れてはなりません。